「日本の労働者だけ賃金低下」なのか?
いいかげんな「データ」っていっぱいあるよなぁと思い、自分で少し考えてみました。今回はそれほど大きな問題はありませんでしたが、不誠実なデータを世の中から減らしたいですね。
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以下のツイートをTLで目にしました。
これ、痛感する! pic.twitter.com/10FnbUeK5k
— 宋 文洲 (@sohbunshu) 2015, 4月 6
なんか大げさじゃないかなあ、たぶん名目で見てるんだろうなと思い、物価の影響を除いてみたくなりました。が、OECDデータベースからは雇用者報酬(Compensation for Employees)の実質値が得られないようだったので、代わりに平均年収(Aberage Annual Wages)を用いました。
上のグラフで登場した7カ国の名目平均年収を、1997年を1として比べたものが以下のグラフです*1*2。
当該グラフと似たグラフが出来ました。オーストラリアがトップで、日本は唯一漸減しており、ぶっちぎりの最下位です。
雇用者報酬を平均年収で代替してもそんなに問題はなさそうです。
次に、同じ平均年収を、2013年を基準年とした実質値で比較すると以下のようになります。
いずれにせよ、日本は最下位です。ここは変わりません。
しかし、ずいぶん印象が違いませんか?
先ほどトップだったオーストラリアは第4位です。上がり調子に見えたイギリスも、こちらではリーマン・ショック以降でしょうか、下降傾向に見えます。最下位の日本とトップとの差も、依然大きいものの、かなり縮まりました。
先のグラフはやはり物価の影響が考慮されていなかったようです。
つまり、日本の名目平均年収は1997年以降確かに下がっているけれど、物価も同じように下がっているので、実質的な購買力はあまり変わっていないんですね*3。
「日本の雇用者報酬は7カ国中最下位で、1997年以降上がっていない」ということは、どのグラフからも読み取れる事実です*4。でも、先のグラフが印象づけるような下降傾向とは言えないし、それほどの各国との差はないんですよね。ちょっとミスリーディングです。せめて先ほどの「日本の労働者だけ賃金低下」は「日本の労働者だけ名目賃金低下」に直してほしいところです。
でもやっぱり、もらえる給料は1997年以降「目に見えて」下がっているし、ふだん実質なんてあんまり考えないから、なんとなく景気は悪いと感じてしまいます*5*6。さらに、名目でも実質でも、日本はほかの国が上がるなか上がっていないのは事実です。なので、名目・実質のちがいは些細なことかもしれません。
それになんといっても、僕は給料を貰える立場にないんですよね。
*1:こちらは1997年から2013年までの推移です。
*2:NCUはたぶんNational Currency Unitの略で、これらは各々その国の通貨で測った数値だということです。
*3:上がっていないことはもちろん問題なんでしょう。
*4:ちなみに、もっと期間を広げて見ると、実質平均年収はこのようになります。
2013年の物価で考えると、1994年以前よりは豊かなんですね。
*5:このような感覚を表しているという意味では先のグラフは一面の事実を示しています。
*6:以上は2013年までのデータをもとにしたお話です。データで見ていないけど、2014年はたぶん物価が上がって実質賃金は下がっているのではないかな。
仕事の適性の差は給与の差でのみあらわれるべきだ
昨日以下の記事を読んだ。
23歳ニートが一念発起してプログラマとして正規雇用されるお話である。虚構だという指摘や釣り宣言も出ているが、バズっているし、僕はこれを読んでわりと感化された。そこで、独学でプログラマになる道などについて調べていたら、全然違うことを考え始めていたのでメモ程度に記事を書く。
以下、理想論を語るだけかもしれない。
「適性のない人は、深夜残業や徹夜を強いられる」のはおかしい
調べる中で、以下の記事を読んだ。
主旨は、プログラマは適性のある人がならなければ不幸が生まれるから、適性を判断して各自これくらいは身につけた上でエントリーしよう、というもの。
全体的に非常に参考にできそうな記事で、僕自身この内容に沿ってプログラミングに挑戦し適性を判断しちゃうぞ〜という気分になっているのだが、「適性がないと不幸が生まれる」という前提部分に少し引っかかって全く別のことを考えてしまった。記事自体の批判をするつもりは毛頭ないので、その点ご留意願いたい。
僕が言いたいのは、IT業界だけではなく広く労働において、生産性の違いは給与の違いとしてのみ現れるべきだということだ。給与の格差が不幸というのなら、書くべきことはない。
当該箇所を引用する。
プログラマーの適性(向き不向き)の差は、他の職種よりも非常に大きいです。
『ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ』に書かれている調査によると、向いていない人は、向いてる人と28倍も生産性が違うという結果が得られたそうです。同じ仕事をこなすために何倍もの時間がかかったり、作った物のクオリティも何倍も低い(バグが多いなど)ということです。
仮に、向いていない人が職業としてのプログラマーになったら、どうなるでしょうか。
他の人と同じように仕事が与えられれば、向いていない人は、深夜残業を毎日して徹夜も普通という生活を強いられることになりかねません。その上、仕事のクオリティも低ければ、給料アップの望みもないでしょう。
プログラマという職種が、人により生産性が大きく違うというのは直感的に納得できる。
だが、「向いていない人は、深夜残業を毎日して徹夜も普通という生活を強いられることになりかねません」という現状は絶対におかしい。こんな生活を続けたらほとんどの人が体を壊すのは目に見えている*1。
「向いていない人は、給与が上がらない」が理想的ではないか
そもそも向いていない人、生産性の低い人にも「他の人と同じように仕事が与えられ」るというのが間違っている。向いていない人は仕事量が減らされ、その分給与も減らされるべきだ。ただし、その下限は基本的に「"最低限の給与"に見合う仕事量」であるべきで、その仕事量に対して上のような生活を続けなければならないのなら、その仕事はやめるべきだろう*2。
もちろん成長のためには少し背伸びしたくらいの課題に挑戦し続けることが大事だ。その課題をこなすために残業や徹夜が発生することもあるだろう。特に新入社員などは「最低限の給与に見合う仕事量」をこなすのも大変だろう。ただ、「最低限の給与に見合う仕事量」は普通にこなせる人間がそれ以上の仕事が振られ続け、連日連夜残業徹夜続きで成果も給与も上がらない、となると、それはマネジメントの問題だ。明らかに振る仕事の量が適切ではない。
残念なことに、日本の労働環境の劣悪さが指摘される昨今、このような状態に陥っている労働者は多いのではないか。
仕事量は基本的に生産性に比例して配分され、その成果に応じて給与が決まる。これが正しいあり方ではないだろうか。
NewsPicksのUI/UX改善案
iPhone版NewsPicksのUI/UXに関して、些細なことだが個人的に気になる部分がいくつかあるので改善案の提示を試みる*1。
文字選択を解除できるように
リンクのタップをキャンセル可能に
「戻る」ジェスチャーの動作を滑らかに
コメントのソートを可能に
なにかまちがったことを書いていたら教えてください
ブログの目的を再考する
未完の下書きが増え続けているので、少しずつ加筆しながら放出したいと思います。ちなみにこの記事の最終更新日は99日前となっていました。
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改めて当初掲げたこのブログの目的(このブログについて - 14既卒無職の日誌)を参照すると、
- 社会との接点が少なすぎる
- 自分の考えを整理しアウトプットする場がない
- 1日何をして過ごしたか思い出せない
以上の3点の解決としています。
現時点で達成できているのは、2番目のみです。最近記事を書いていないのでそれすら怪しいですが。
1番目の目的については、ほかのブロガーさんの記事に関する感想などをリンクや引用をしつつ書くなどすれば、少しずつ社会的な交流ができるのではないかと考えたりもするのですが、全く面識のないブロガーさんの記事に言及したりするのってブロガーマナー的にどうなのか等を考えてしまってなかなか踏み出せずにいます。こういうこと、やっても大丈夫なのでしょうか。そもそもどういう交流がしたいか自分でもわかっていないから、やめておこうか……。
3番目については、そもそもの目的設定が誤っていたと思っています。1日の行動をブログに書いて記録を残そう、という意図ですが、既卒無職の日記(あるいはもっと程度の低い行動メモ)など、コンテンツとしての価値は限りなく低いです。しかも、この目的を果たすためには、日記を毎日記すことになるでしょう。低価値コンテンツを毎日量産するということです。これはTwitterならまだしもブログでやることではないと考え直しています。
ですので、これからは上の3つのうち上位2つを目的としてやっていきたいと思います。
クソ記事感が強いですね。
iMacのメモリを増設した
(近況)またひとつ恥を積んでしまった
クリエイティブをあきらめる
*1:ここでいうクリエイティブは、後述の通り僕自身にもよくわかっていない。ただ、仕事のロボット化や自動化の文脈で出てくるような「人間にしかできない」の意味を持つクリエイティブよりは狭義の意味で使っていると思う。
集団的自衛権行使容認の閣議決定について
はじめに、僕は実はこの件に関して個別に意見表明するつもりはない。
集団的自衛権に関する意見がTwitterやFacebook等で多く見られる(見られた)。諸問題について自分の意見を持つことは立派だし、それをどこで表明しようとも自由だ。だが、それらを目にするのに正直うんざりしてしまったり、冷笑的になっている人も多いと思う。自分もそうだ。
首相官邸前に今集まってる人って暇なん?楽しいことないん?笑
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2014, 6月 30
とくに、普段ノンポリ風の友達が急に自分の意見を連続投稿したりほかの人の意見をシェアしまくっていたりすると違和感が大きい。
このような意見表明の目的はなんだろう。自己顕示か説得のどちらかだろうか。
目的が日常ツイートの延長のような自己顕示なら、手段としてはまあ妥当だと思う。それらの投稿は「実は私はこのイシューに関心がある」ということを表すだけの記号として理解されればいい。この程度でいいなら、TwitterやFacebookでも十分伝わるだろう。ただ、そういうことは数回投稿してもらえればわかるので、度重なる投稿やシェアは過剰だ。
その人たちの目的が説得ならば、TwitterやFacebookでの発信は手段として適切ではない。Twitterには字数制限があって根拠など十分に伝わりづらい面があるし、両者ともいわばフローのSNSだから、よっぽど質の高い投稿でない限り、普段そのような投稿をしない場合は特に、読み流される可能性が高い。この場合、別の場所で発信する方がよいだろう。
目的が自己顕示の場合も、「実は私はこのイシューに関心がある」以上のこと、たとえば自分の意見などを伝えたいなら、フローのSNSであるTwitterやFacebookではない別の場所での発信を考えたほうがいい。
そのような別の場所として、ここブログは、ぴったりではないか。
若年無職の構造的理由と就職支援の皮肉
TLにフローレンスの駒崎さんのツイートが流れてきた*1。『無業社会 働くことができない若者たちの未来』という本についてだ。
@Hiroki_Komazaki: 「無業社会 働くことができない若者たちの未来」工藤啓・西田亮介:働かない若者≠怠惰。構造的理由がある。潜在数483万人とも言われる彼らが生活保護を受ければ、莫大な社会的負担が。ならば彼らに「投資」し、納税者になるべく支援すべき。良書。 Twitter / Hiroki_Komazaki: 「無業社会 ...
ニートだけど1000円の歯磨き粉買った
今日は久しぶりに出かけました。といっても就活ではなく、理容院と歯医者に行っただけです。自転車で15kmほど走って、とても心地よかったです。
普段は美容院に行くのですが、今回は試しにQBハウスを利用してみました。その話は書いていると長くなったので別記事にまかせるとします。
1000円の歯磨き粉、ニートが使っていい商品じゃありませんが、自然の流れに逆らえませんでした。
数週間ほど前から左下奥歯に痛みを感じでいて、今日ようやく診てもらいました。原因は虫歯ではなく歯肉炎?らしいです。歯垢が溜まっていて菌が繁殖しているのだろうと言われました。あと親知らず生えてきているよと。(だいぶすきっ歯だねとも。これはそこまで自認していなかったので軽くショックでした)。
とにかく、痛みの原因は虫歯ではないから今日一日で痛みをどうにかするわけにはいかない、今ある歯垢は取り除くが日常的に正しい歯磨きをする必要がある、ということでした。というわけで、この歯磨き粉を使って歯茎をマッサージするように磨いてくださいねーと、自然な流れで1000円の歯磨き粉を購入するに至りました。初診のためレントゲン費も含んだ会計金額に少し動揺しました。親の金です。自腹じゃありません。とても心苦しいので働きたいと思いました。数千円で働きたい気持ちが得られたのでトータルで見れば絶対お得です。よかった!
この自然な流れで歯磨き粉のアフィリエイトリンクを貼れば儲かるのでしょうか。
とりあえずブログ開設とそれに関わる不安について
とりあえずブログを開設しました。
このブログの主な目的と簡単な自己紹介は別記事(このブログについて)に書きました。
時間は持て余しているが、完璧主義のようなところがあって、何度も書き直してしまいなかなか捗らないです。はてなに慣れていないのもあって余計に、です。そのうち要領つかめてくるものですかね。さらにウェブサイト運営もブログも個人的な日記も長く続いたためしがないので、不安でいっぱいです。 以下で不安の根拠を少し掘り下げて考えます。
別に記事を書くのに手間取っても減るのはたくさんある時間だけだし、ブログ自体すぐに辞めてしまったってもったいないのはたくさんある時間だけ(しかもサンクコストなので気にしなくていい)なので、一見何も問題はない*1のですが、実は大きな問題が生じます。自信を失ってしまうということです。ブログの更新に手間取るたび「ああ、なんて要領が悪いんだ」と嘆き、ブログ自体更新しなくなると「ああ、また思いつきで行動して結果を残さなかった」と落ち込んでしまうのが僕という人間なのです。こうして自信を失くすことは、幸福な生活の追求をたしかに阻害します。現状既卒ニートなのも、自信の不足によるところが大きいと思っています。だから、不安なのです。つまりこれは、「このブログ開設によって自分に対する不信がまた一段と深まり、幸福な生活の追求が妨げられるのではないか」という不安です。
幸福な生活の追求は人生の大きな目的のひとつと言ってよいでしょう。小さないくつかの目的を持って始めたブログのせいで、幸福の追求という大きな目的が阻害されては本末転倒です。このような事態は避けなければなりません。どうすればよいのでしょうか。
時間に区切りをつけるというのはひとつです。要領は得ないもののブログを書くのは全く苦じゃないので、ブログを別に目的のない趣味として捉え、一定時間を割くものとすれば、「要領」やら「結果」なんてものに気分を振り回されなくなります。ブログの目的化です。
なにが言いたいのか自分でもわからないので、わからないままここで終わります。このブログの意義については批判的に考えながら随時更新していきたいと思います。
本当は初日に更新する予定のこの記事を改めて読み返し、全然わけがわからないうえ時間をかけすぎていて本当に不安でいっぱいです。このブログがいつか振り返りたくない過去にならないよう気をつけようと思います。
*1:本当のところを言うと、時間が無駄になるのはかなり問題だと薄々気付いている。