14既卒無職から見た世界

23歳、14既卒無職(ニート)の日誌です。

クリエイティブをあきらめる

僕には、“クリエイティブへの憧れ” がずっとある。メディア、アート、デザイン、広告…これらの領域は僕にとって魅力的な、クリエイティブな領域だ*1

それはもちろん仕事を選びに影響を与えた。上の分野に関わる会社に惹かれ、募集要項などを採用ページで確認する。当然、入社したいと思う。ただ、自信はない。その自信のなさに根拠はなかったが、とにかく内定を貰える気がしなかった。結局、某キー局1社を除いて、ESさえ提出しなかった。その1社も、1次面接で落とされた。なぜとは言えないが、当然と思った。

だが、最近になってようやくわかった。自分はクリエイティブに向かないという考えに根拠はあったのだ。

それは、僕が今までクリエイティブなことなど何もしてこなかったという簡単な事実だった。

クリエイティブに向く人間は、環境に関わらずクリエイティブだろう。たとえば今だって、無職で時間は有り余っている。幸い、実家に住むことができて、お金を負担せずとも生きられる環境にいる。大学時代だって、時間は多くあった。それは、なにか音楽や漫画や小説やイラストなどをつくるとか、その手伝いとか、創作じゃなくてもなにか“面白いこと(クリエイティブなこと)” をする絶好の機会だ。にもかかわらず、僕は一切そのようなことをしないで過ごしてきた。大学時代には学業を、今は職探しを言い訳にして。なにも、クリエイティブじゃない。

上で、「面白いこと」「クリエイティブなこと」をうまく言い表せないことからもわかる通り、僕はクリエイティブ自体をよくわからないまま、曖昧に憧れていただけだった。こんな簡単な事実が、最近になってようやく理解できた。

だから、僕はクリエイティブをあきらめることにした。仕事にもクリエイティブを求めない。曖昧な理想を追ってもそれは手に入らないし幸福にもなれない。

本当にクリエイティブが好きなら、向いているなら、クリエイティブをあきらめた生活に我慢ならずなにかを始めるだろう。そうなることを期待しつつ、それがたとえクリエイティブの対極の作業だとしても、自分のできそうなことを探していこうと思う。

*1:ここでいうクリエイティブは、後述の通り僕自身にもよくわかっていない。ただ、仕事のロボット化や自動化の文脈で出てくるような「人間にしかできない」の意味を持つクリエイティブよりは狭義の意味で使っていると思う。