14既卒無職から見た世界

23歳、14既卒無職(ニート)の日誌です。

仕事の適性の差は給与の差でのみあらわれるべきだ

昨日以下の記事を読んだ。

23歳ニートが一念発起してプログラマとして正規雇用されるお話である。虚構だという指摘や釣り宣言も出ているが、バズっているし、僕はこれを読んでわりと感化された。そこで、独学でプログラマになる道などについて調べていたら、全然違うことを考え始めていたのでメモ程度に記事を書く。

以下、理想論を語るだけかもしれない。

「適性のない人は、深夜残業や徹夜を強いられる」のはおかしい

調べる中で、以下の記事を読んだ。

主旨は、プログラマは適性のある人がならなければ不幸が生まれるから、適性を判断して各自これくらいは身につけた上でエントリーしよう、というもの。

全体的に非常に参考にできそうな記事で、僕自身この内容に沿ってプログラミングに挑戦し適性を判断しちゃうぞ〜という気分になっているのだが、「適性がないと不幸が生まれる」という前提部分に少し引っかかって全く別のことを考えてしまった。記事自体の批判をするつもりは毛頭ないので、その点ご留意願いたい。

僕が言いたいのは、IT業界だけではなく広く労働において、生産性の違いは給与の違いとしてのみ現れるべきだということだ。給与の格差が不幸というのなら、書くべきことはない。

当該箇所を引用する。

プログラマーの適性(向き不向き)の差は、他の職種よりも非常に大きいです。

ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ』に書かれている調査によると、向いていない人は、向いてる人と28倍も生産性が違うという結果が得られたそうです。同じ仕事をこなすために何倍もの時間がかかったり、作った物のクオリティも何倍も低い(バグが多いなど)ということです。

仮に、向いていない人が職業としてのプログラマーになったら、どうなるでしょうか。
他の人と同じように仕事が与えられれば、向いていない人は、深夜残業を毎日して徹夜も普通という生活を強いられることになりかねません。その上、仕事のクオリティも低ければ、給料アップの望みもないでしょう。

プログラマという職種が、人により生産性が大きく違うというのは直感的に納得できる。

だが、「向いていない人は、深夜残業を毎日して徹夜も普通という生活を強いられることになりかねません」という現状は絶対におかしい。こんな生活を続けたらほとんどの人が体を壊すのは目に見えている*1

「向いていない人は、給与が上がらない」が理想的ではないか

そもそも向いていない人、生産性の低い人にも「他の人と同じように仕事が与えられ」るというのが間違っている。向いていない人は仕事量が減らされ、その分給与も減らされるべきだ。ただし、その下限は基本的に「"最低限の給与"に見合う仕事量」であるべきで、その仕事量に対して上のような生活を続けなければならないのなら、その仕事はやめるべきだろう*2

もちろん成長のためには少し背伸びしたくらいの課題に挑戦し続けることが大事だ。その課題をこなすために残業や徹夜が発生することもあるだろう。特に新入社員などは「最低限の給与に見合う仕事量」をこなすのも大変だろう。ただ、「最低限の給与に見合う仕事量」は普通にこなせる人間がそれ以上の仕事が振られ続け、連日連夜残業徹夜続きで成果も給与も上がらない、となると、それはマネジメントの問題だ。明らかに振る仕事の量が適切ではない。

残念なことに、日本の労働環境の劣悪さが指摘される昨今、このような状態に陥っている労働者は多いのではないか。

仕事量は基本的に生産性に比例して配分され、その成果に応じて給与が決まる。これが正しいあり方ではないだろうか。

まあ、社会に出ていない既卒無職の意見に過ぎないのだが*3

*1:しかし、このような労働環境に身を置く人が多いのも事実だろう。これは確かに不幸だ。その意味でこの指摘自体は正しい。ゆえにこの記事を批判しているわけではない。

*2:もしかしてそういうことを言っているのか。だとすればこの先の文字の羅列に意味は無い。すべて、「経験年数に応じて一律に仕事量が増えていく」状況を前提に話を進めている。

*3:抜け落ちている視点が多々ある気がしてならないのでぜひご指摘下さい。